明治~大正時代へ。愛知県犬山市の明治村

お出かけ
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今回の旅を振り返るシリーズは2019年、明治村であります。

明治村という場所をご存知の方を知っている人は全国にどれくらいいるでしょうか。
一方で日光江戸村と聞けば、かなりの人が知っていることと思います。

私も明治村は父親から聞くまで全く知りませんでした。
帰省の最中、特に行くところもなく暇をしていると、父から明治村の存在を知り、行ってみることに。

明治村は愛知県の犬山市というところにあります。

私の地元は静岡県の西部地区ですので愛知県は比較的近いので、今回は日帰りで行ってきました。

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明治村とは?

まずは簡単に明治村のご紹介です。

そもそも明治時代について。
明治時代といえば、明治維新ですね。
日本の鎖国が終わり、欧米の文化やと政治制度などを取り入れることで、
近代日本の基礎を築いた時代であります。

建築の観点からすると、明治時代は、江戸時代の木造建築中心から、欧米の手法を取り入れ、
石造・煉瓦造の洋風建築が建てられた時代でもあるのです。
そして、その建築素材においても、鉄・セメント・ガラスを用いるなど、現在の近代建築にとつながっていくこととなっ
たわけであり、当日の建築物というのは大変貴重な存在であるわけです。

しかし、これらの建築物は震災などの災害、戦争などでその多くが失われてしまいました。
加えて、戦後の産業の高度成長の開発事業によっても、これらの建築物が取り壊されることも少なくありませんでした。

そんな中、取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しみ、その保存を計るため、
旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)
の二人の協力のもと、創設されたのが明治村であります。

ちなみに、明治村は正式には”博物館明治村”といいます。

そんなわけで、この明治村の楽しみといえば、これらの歴史的な建物を見ることが一番です。
が!明治村。すご~く広いです。
敷地面積は約100万平方m。
関東だと、こどもの国と同じくらいの広さです

では、園内へ行ってみます。

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体力の限界まで1丁目から5丁目まで歩きます。

1丁目から5丁目まで大きくエリアが分かれており、自分も順番に歩いてみたのですが、
想像以上にアップダウンがありました。
私が行ったのは5月でしたが、かなり暑い日でしたので体力的にかなり疲れました。
多分、すべてを歩いて回るのは大変なので、園内を走る有料のバスをうまく使いながら観光するとよいと思います。

こちらは1丁目にある森鴎外・夏目漱石住宅です。
明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものですが、空家のままであったのを、明治23年森鴎外が借家、一年余りを過ごしたそうです。
また、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいたそうです。
なんと。
あの有名な文豪二人が同じ家に住んでいたのですね。
なんだか感慨深い。

ちなみに夏目漱石はここで「吾輩は猫である」を発表したそうです。
家をよく見ると猫のためのくぐり戸をはじめ、文中に描写された家の様子がわかります。

二人の文豪が相次いで住んだこの家は、当時の典型的中流住宅だそうです。
3畳ほどの女中部屋や書斎、短いですが中廊下があったりと結構広いですね。

明治村で私が一番好きな場所は2丁目です。
なんか都会っぽくないですか?

ここでは、”明治体験処ハイカラ衣装館”という、いはゆるコスプレができる場所があり、あちらこちらに衣装替えをした人たちを見ることができます。
私も夫婦で体験してみました。
写真を撮りまくりました笑
コスプレ、楽しいです。
女性は女学生、男性は書生が定番です
若い人だけでなく、年配の人もたくさんコスプレしてますし、心がタイムスリップできますので、よろしければ、どうぞ。

こちらは3丁目にある”北里研究所本館・医学館”。


日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が大正4年(1915)芝白金三光町に建てた研究所の本館です。
東大で医学を修めた北里柴三郎はドイツに留学、コッホのもとで、細菌学を研究し、破傷風菌の培養、
破傷風の血清療法によって学界に認められました。
帰国した翌年の明治25年(1892)、福沢諭吉の後援を得て日本初の伝染病研究所を設立、大正3年(1914)同研究所が東大に移管されると、独自にこの北里研究所を創立しました。

館内はたくさんの展示があるので、興味ある方はぜひ。

これは4丁目にある”ハワイ移民集会所”。


ハワイ島の町ヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会です。
教会の役目を終えた後は、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われたそうです。

こちらは5丁目にある”聖ザビエル天主堂”の中の様子です。

ここまで来る頃には、私、かなり体力が消耗したことに加え、外の暑さが厳しかったので、吸い込まれるように教会の中へ入りました。
神のお導きですね。

この教会はフランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890)にかつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、
フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものだそうです。

こちらは、同じく5丁目にある帝国ホテルの中央玄関部です。
ここはアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した建物ですね。

この中にはなんとポーツマス条約で使用されたというテーブルがあるのです。
これは必見ですね。
実物ですよ。
ここまで歩いてきた価値がありました。
そして、ここまで、遠かったです。

ここで体力が限界を迎えました。
帰りはバスで1丁目まで戻ります。
もう歩く元気はありませんでした。

ちなみに、バス以外にも蒸気機関車もありました。
明治村のSLは「なごや」駅と「とうきゃう」駅(どちらも明治村内の呼称です)の間を連日走行している機関車が2両あり、そのうちの一両、蒸気機関車12号は鉄道開業の2年後、1874(明治7)年イギリスから輸入されたものだそうです。
鉄道好きにはたまりませんよね。

この明治村じっくりみたら1日では足りないくらい広いです。
このブログで紹介していないところもまだまだたくさんあります。
途中でお腹も空くかもしれないですね。
その場合はご飯を食べるところもいくつかあります。
自分は4丁目にある食道楽というところで食べました。


味は・・・まぁ普通です(笑)
美味しいな、と思ったのは1丁目にある小倉ドック。
これは甘くてとてもグッドでしたよ。

明治村、明治から大正にかけての時代を感じたい方や、当時の歴史に興味のある方はぜひ行ってみてはどうでしょうか。

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