●留学のきっかけ
・フィジーでの経験
20代後半に1週間だけではありますがフィジーでホームステイの留学経験をして以来、もう少し長い期間での留学をいつかしたいと考えておりました。
仕事でも英語を使った仕事をしてみたいという気持ちもあったので、今度は英語圏で生活をすることで英語力を伸ばしたいという気持ちも強かったです。
・海外に住んでみたい
海外勤務の経験ができない職場ではありましたが、海外で生活をするということをしたいと以前より思っておりました。
観光ではなく、生活をしたいと。
寒い土地は避けたいのですが、それ以外のところで生活をする経験をするには転勤するか、現地企業で採用されるというのが社会人の選択肢としてありますが、当時の環境ではそのいずれの選択肢も取りにくい状況にあり、留学を考えました。
・職場の研修
留学とはいえ、退職でもしない限り長期休暇の取得はできません。
そんなとき、2か月間の米国留学という職場の研修制度があることを知りました。
選抜制ではあるものの語学力不問の応募制です。
いったい何をもって選抜するのか、という気もしますが、今となっては行きたい気持ちの強い者が行くというような研修であったと思います。
幸いにして、5月~7月にアメリカ、ワシントンDCになるジョージタウン大学のEFLプログラム(外国人のための英語学習プログラム)へ参加できることとなりました。


●授業
・クラス別テスト
初日にペーパーテストが実施され、クラス分けが行われました。
継続して在学している学生も含めて定期的にクラス替えが行われるのだそうです。
4段階のレベルのうち、私は下から2番名のクラスへ。
ちょうどよいレベルかなと考えていました。
学生は世界各国から来ておりましたが、サウジアラビアの学生が多い点が特徴でした。
若いながらも、既に結婚をしていたご婦人も多かったですね。
学費は高額でしたが、やはり中東の財力はすごいです。
私のクラスはそのサウジの学生のほか、ドイツ、アルメニア、ブラジル、日本人も私1以外に1名といった構成でした。
・文法、リスニング・スピーキング、ライティングの3部構成の授業
下から2つ目のクラスとはいえ、どの授業も講師の話すスピードは速くついていくのに必死でした。
集中力を最大限に高めても聞き取ることが困難でしたし。
一方、クラスメイトは講師と自然に会話をすることができており、おそらく私が最もレベルが低かったように思います。
文法のクラスの先生はグーグルドライブにノートやら動画をアップして復習コンテンツや課題を出していました。
リスニングではよくTEDの動画を視聴することが行われており、クラスメイトとの会話の練習も頻繁に行われました。
ライティングの授業では、最後のプレゼンテーションに向け、英語でのライティングの基本からプレゼンの構成まで、文法やリスニング・スピーキングの授業を含め、総合的な英語力を高める授業が展開されていきました。
どの講師も学生との会話を重視するので、双方向のコミュニケーションが繰り返されます。
サウジの学生は主張が強く、勢いがありましたね。
不思議なことに、こうした授業をずっと受けていくとそれなりに話すことができてきます。
もちろん、流ちょうな会話ではありませんが、英語が全く口から出なかったときに比べると大きく成長できたように思います。
プレゼン前は図書館に毎日行きました。
夜遅くまで開館していることに加え、通常の大学の授業が休業期間ということもあり、常に空いておりました。
とても快適な空間でした。




・オプションの活動
通常に授業に加え、DC観光、カヌー体験や観劇など、大学は様々な機会を大学は与えてくれました。
授業でなけでなく、その土地や文化を知る機会はありがたいことでありました。
加えて、大学のジム、プールも使いたい放題でした。
ジムは日本の大学のスケールとは異なり、かなり大きな規模でした。屋内の陸上トラックを見たときは驚きました。
アメリカの大学はスポーツに相当なお金をかけているのだと感じましたね。
ジムを利用している学生もすごい身体をしていましたし。

●学生寮での生活
・部屋
アメリカの大学は学内に寮をもつことが一般的であり、ジョージタウン大学にも複数の学生寮があります。
私の滞在した学生寮は大学の正門からすぐ近くにありました。
留学生のフロアは半地下のようなところで、仲間たちはプリズンと呼んでおりました。確かに少し監獄のような雰囲気はありましたね。
シャワーにコインランドリーや共同スペースもあり、十分な設備でした。
部屋は10畳くらいのスペースの二人部屋だったのですが、同じ年のブラジル人とは気があったので、ストレスなく過ごすことができました。
ただ、空調は強く常に寒かったため、毛布が現地で初めての買い物となりました。


・食事
昼食は学内のファストフードやレストランを利用しておりました。
今ほどの物価高でもなく、円安でもありませんでしたが、学内のレストランを利用すると2000円近くかかり、決して安くはありませんでした。
夕食は外食もありましたが、アメリカのレストランはどこもボリュームが多く、すぐに日本食が食べたくなりました。
3日目には日本食レストランに行っていました。
その他、スーパーマーケットも比較的近くにあったので、すぐに食べられるものを購入していました。
スーパーにもランクがあるようで、安価なスーパーは店員も適当な感じでしたね。




・友人
男女で大まかにスペースが分かれているので、男子寮に滞在している気分でした。
みんなで夕飯に出かけたり、寮内でふざけたことを話したりすることもあり、男子校に入学したような気分がありました。
年齢層も近いこともあり、国籍は違えど、短期間でいろんな話をすることができたように思います。
最終日はナイトクラブに行き、様々なダンスを披露したことがよい思い出です。
これで、早朝のフライトに遅刻をしていたら、よい思い出にはならなかったかもしれませんが。
●まとめ
・語学力はぼちぼち
出国前にTOEICの点数は500点くらいで、帰国後もほとんど変わりませんでした。
TOEICの点数からすると2か月で語学力が上がったとは言えず、優秀とはほど遠いなと思いました。
しかし、以前は英会話がほとんどできませんでしたが、何とかコミュニケーションが取れるようになったことは大きな成果だったと思いました。
職場の研修であったため、報告会もありましたが15分程度のプレゼンは英語で実施することもできました。
以前の自分からすると、大きなことでした。
・出会い
語学力以上に、留学先での出会いは大きな財産となりました。
特にルームメイトは同じ年であり、プライベートのことも含め、部屋や食事先などでいろんなことを話しました。
話すテンポがあったのかルームメイトとの会話が最もうまくできたように思います。
唯一、当時はワールドカップ期間中であり、ブラジルがドイツに歴史的大敗をしたときは気を遣いましたが。
彼は当時、ブラジルのバンカーで、アグリビジネスをすると当時語っており、その後、実際にアグリビジネスのグローバル企業の南米代表になりました。
トライアスロンも世界大会に出場するほどで、到底追いつくことはできませんが、そんな彼と生活をともにできたことで力をもらいました。
一度日本に来たときは銀座でワイフを連れて結婚の報告もしてくれました。
いつか、南米で自分も会いにいけたら最高ですね。
また、現地で出会った日本人の仲間との出会いも素晴らしいものでした。
それぞれの異なるバックボーン故、日本ではきっと出会うことができなかったでしょう。
現地で飲んだ時は日本語で話すことができたこともあり、記憶をなくすほど飲んでしまいました。
ありがたいことに、皆とは日本でも度々会うことができており、今でも大切な友人です。


・大人の青春
学生時代は、学生でいられることのありがたみをあまり感じることなく過ごしていたように思います。
しかし、社会人になってから再度学生に戻ることになり、勉強をしたり、友人と交流をすることを中心とする生活を送ることができたことは、とても貴重なことで毎日が幸せでした。
それはまさに青春をもう一度体験できたような日々でした。
それも異国の地であったため、様々なことが新鮮で、刺激に満ちていました。
映画に出てきそうなキャンパスで、かつ夏のジョージタウンは気候もよく、とてもすごしやすい場所であったことも影響したかもしれません。
きれいな街をキャンパス内を飛び回っていた蛍が今でも頭に焼き付いています。
今思えば、夢の中のような日々でしたね。




2025年の現在は、円安もあってかアメリカでの生活は金銭的にも楽ではありません。
しかし、必要な経験は必要な時にチャンスが巡ってくるのかもしれません。
私も新たな機会を得られるよう来年もよい1年にしたいものです。
