今回の旅を振り返るシリーズは2018年8月ポーランドはクラクフの旅であります。
ヨーロッパの旅といえば、イタリア、フランスなどが真っ先にあがる旅行先ですよね。
確かに、自分の学生時代に行ったときには、食べる・見る・買うの全てが整った
パーフェクトな観光立国だと感じましたし、今でもそうでしょう。
しかし。
日本人にはマイナーだけど、旅行先としてすごく魅力的な国はフランスやイタリアだけではありません。
そうです。
ポーランドを忘れてはなりません。
食べる・見る・買うの3拍子はもちろんですが、加えて、“安い”、というもう1つの
キーワードがポーランドにはあると思います。
そうなんです。
ポーランドはヨーロッパの国の中でも特に物価が安い国なのです。
食べるにしても買うにしても日本の3割引くらいの感覚です。
そのためか、今、ポーランドはイギリスなどヨーロッパの国々からも特に人気が高まっている
ようであります。
クラクフとはどんな街?
クラクフという国、あまり日本では知られていないかもしれません。
かなり昔ですが、11世紀から約550年にわたり、ポーランドの首都であった都市です。
また、第2次世界大戦の際も比較的、被害が少なく、今も歴史的な街並みが残り、
ユネスコの世界遺産にもその街並みが登録されている街であります。
日本でいうところ京都のような存在ということですね。
人口76万人でワルシャワから飛行機で1時間くらいの距離にある街です。
アクセスですが、クラクフの空の玄関口はヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリチェ国際空港となっております。
あまり大きな街ではありませんので、街の散策だけであれば、1日あれば十分という印象です。
それでも、アウシュビッツや、ヴィエリチカという有名な岩塩坑にいくならもう1日は欲しいという感じです。
さて、到着日は夜到着の便ではありましたが、少しだけ街を散策してみました。
ホテルから中心街はすぐ近くです。まだまだ人が多く、レストランも満席。
クラクフがいかに人気なのかを感じます。
とりあえず、今夜はビールとケバブだけ。
なんかケバブの店が多かったです。
クラクフの街散策
翌朝。
天気もよく、街散策へ出かけます。
こちらは有名なバルバカン。
なんとこの砦ができたのは1498年!
元々は旧市街全体を囲うように城壁が建てられていたそうですが、19世紀に取り壊され、今ではその一部のみ
が残っています。
でもこうしてみると歴史を感じますね。
この頃、日本は室町時代なわけですよ。
少し歩くと見えてくるこの門はフロリアンスカ門です。
この門はなんと1300年頃に建てられたそうです。
なんと!バルバカンよりも古い。
鎌倉時代だよ。。
こんな昔のものがこうして残っているってほんとすごいよなぁ。
石造りすごい。
このあたりは各国のガイドさんがいて案内をしてくれます。
英語やスペイン語はあるけど、日本語はありませんでした。
そういえば、クラクフの街中では日本人は見かけませんでしたね。
まだまだ日本人からするとマイナーな国なのかもしれません。
さて、このトンネルを抜けると・・
そこはクラクフの旧市街が広がります。
様々なショップやレストラン、カフェがずら~っと並びます。
人もたくさん。
賑やかねですね。
マックなど、ファストフードもたくさんあります。
クラクフ旧市街の中心はこに、中央広場。
中世からそのまま残っている広場としてはヨーロッパ最大ということです。
確かに、ヨーロッパって、どこへいってもこうした広場がありますよね。
でも、この広場が一番広く総面積は4万平方キロメートル。
200m×200mですから、陸上トラックくらいの広さということでしょう。
広いです。
そしてここは織物会館。
14世紀に立てられ、衣服の交易所として利用されていたそうです。
今ではお土産物のお店とかがたくさん入っています。
2階は国立美術館、地下1階は博物館であります。
クラクフ旧市街のシンボルは、織物会館と、聖マリア教会です。
1222年建築!
バルバカン、フロリアンスカ門と見てきましたが、どんどん古くなりますね。
鎌倉幕府になってすぐです。
そんな時にこんな高い教会が作られていたとは。
この教会の名物はなんといってもラッパの音です。
1時間ごとに音楽が街中に響き渡ります。
そう、この教会から実際に人がラッパを吹いているんです。
でも、よく聞くと、中途半端などころで必ず音が止まります。
実はこれには意味があるのです。
クラクフはかつてモンゴル軍の襲撃にあっていた時期があり、ラッパは、その襲撃を告げるため、
教会の塔から吹き鳴らされていました。
しかし、ある日。
モンゴル軍の放った矢によってそのラッパの奏者は亡くなってしまったそうです。
そのため、ラッパの音は矢によって命が奪われた瞬間の箇所で止まってしまうのだそうです。
こんな話を聞くとその音色もどことなく悲しく感じられます。
そして、旧市街をどんどん奥に進むと見えてきましたヴァヴェル城。
ポーランド王の歴代のお城です。
さて、大体ここまでで旧市街全体となります。
1つ1つ建物に入るともっと時間がかかりますが、歩いて外から見るだけだと30分くらいでもいけそうですね。
さて、クラクフの観光のメインの建物を駆け足でみてきました。
今回はもう少し足を延ばしてカジミエシュ地区まで行ってみました。
カジミエシュ地区
まずはこの地区の歴史から。
ここはかつて、といってもかなり大昔の1300年頃に、カジミエシュ大王によって造られたとされています。
大王は当時迫害されていたユダヤ人を保護したため、多くのユダヤ人がクラクフに来ることになったようです。
そして、あの第2次大戦まで、多くのユダヤ人が周辺に暮らしていたそうです。
しかし、歴史でご存知の通り、第2次大戦のため、ユダヤ人がいなくなり街は荒廃することになりました。
それから現在、この街は変化しました。
ユダヤ人の多くいた当時の街の名残を残す気運が高まり、現在、この周辺にはカフェ、ショップがいくつもできていますし、ユダヤの商店を再現したかのようなお店もできています。
何も知らずに街を歩くとクラクフの旧市街となんか違うなぁ、という感じですが、こうした歴史を知っているとこの
街の見え方もだいぶかわってきますね。
ポーランド料理
ポーランドにいったらぜひポーランド料理を食べたいですね。
ポーランド料理ってあるの?と思われるかもしれません。
あります!
とはいっても東京で食べられるところは京王線の柴崎駅のポンチキ屋さん以外私は知りませんが。
ポーランド料理、とても美味しいですよ。
今回食べたものをいくつか紹介します。
全体的に煮込み料理が多い印象です。
今回の旅行は夏でしたが、冬はこう凍える寒さということで暖かい料理が好まれるのでしょうね。
グラーシュ+ポテトパンケーキ
グラーシュというのは牛肉シチューです。
ポーランド料理というよりはハンガリーがルーツなようですが、
ポーランドでもよく食べられるそうです。
さくさくのポテトパンケーキとの相性が抜群です。
ピエロギ
ポーランド版の水餃子です。
ほんとに日本の餃子みたいで、中にはひき肉がはいっています。
ジュレック
スープですね。
ライ麦を発酵させて作られているスープで酸味の聞いたポトフのような味でした。
ソーセージとかじゃがいもが具に入っていることが多いです。
ゴヴォンプキ
ロールキャベツです、これはまぁ、ロールキャベツだな、という味でした。
ポンチキ
これは大定番のご飯、というかスイーツですね。
バラのジャムを使った揚げパンです。
街には専門店もあります。
ポーランド人にはおなじみのスイーツ。
ザピエカンカ
カジミエシュ地区で食べました。
ガーリック風味のパンにキノコや野菜などがのっています。
どれをとっても日本人の舌に合う料理だと思いました。
日本ではほとんど食べることができないですからね、ぜひ行く機会があったらトライしてみてください。
ポーランドの結婚式
ところで、今回のクラクフ旅行のきっかけは、妻がポーランドに留学していた際の友人が結婚式を挙げるということで、夫の自分も付いていくことになったことがきっかけです。
その友人はポーランド人なので、結婚式もキリスト教の教会で挙げられました。
驚いたことは、いはゆる披露宴の長さです。
挙式の後に披露宴があるのですが、なんとオールナイトです。
すごい。
次々にご飯が来ますし、私のいたテーブルは、ポーランド以外の国のゲストが集まったインターナショナルなテーブルだったのですが、みんなお酒が強い。
何度かウォッカをショットで一気飲みです。
前日の飛行機で、それほど寝ていないため、なかなかハードな1日ですが、ご飯を食べてはダンスをすることを繰り返すという
とても楽しい式でありました。
個人的には海外での結婚式の出席も初めてでしたので、とてもいい思い出です。
ヨーロッパはコロナの影響が大きく、とても心配です。
早く、平穏な日々が訪れることを祈りますし、必ずや再び訪問したいと思います。